[BLOG] YukkiYOYOが亡くなって10年

ハイパーヨーヨー時代からの仲だったYukkiYOYOこと鈴木幸宏くん(以下、ユッキー)が亡くなって今日で10年。苦楽を共にした2000年前後や、フランスで再開した2010年辺りの思い出が強く、振り返れば鮮明にいろんなシーンが頭の中を流れていきます。今日はちょっとだけ思い出語りをしたいと思います。

ユッキーという人について、最近始めたプレイヤーは知らなかったりすると思うので、もしよければこちらを一度ご覧ください。

初めてユッキーに会ったのは第4回ジャパンチャンピオンシップ東京大会の会場へ向かう朝でした。こちらは全国チャンピオンチーム「うめこぶちゃ」のメンバーとして、向こうは初出場の「じっくりコトコト煮込んだチーム」のメンバーとして戦う日で、「はじめまして、今日チームで出るからよろしくね!」と満面の笑みで挨拶されたのを覚えています。

その日はうめこぶちゃは結局負けちゃうんですが、同じチームプレイ部門出身者であり、歳も1個下で近かったので、ユッキーとはすぐに仲良くなりました。大会やイベントで会うだけでなくプライベートでも遊ぶようになって、お金がなくて缶ジュースを買って外で延々としゃべったりしてました。

忘れられない思い出のひとつは、お台場にあったチェロキーというお店に2人ともよく行っていた時期のこと。毎週末チェロキーに行っては店頭で何時間でもフリースタイルをし続ける…みたいなことをしていて、Kohta氏やBLACK氏たちとよく遊んでました。大体土曜日にお台場集合して遊んで、チェロキーのスタッフ用のマンションに泊まらせてもらって、翌日曜日も夕方まで遊ぶっていうルーティン。お台場のレストランなんて高すぎて入れないので、もっぱらコンビニかマクドナルドの二択でお腹を満たす土日でした。ヨーヨーのスキルもここで磨いていたし、この頃は一番濃い時間を過ごしていたと思います。

僕が19歳、ユッキーが18歳で高3だった頃、ユッキーは卒業遠足(?)でディズニーランドに行くことになった時があったのですが、「友達いないから来て!」って言われて、なぜかユッキーは僕と2人でディズニーランドを周ることに。男2人でディズニーってのも、気を使わないし気楽で楽しかったです。(この話マジでヨーヨーと関係ないな笑)

この後ユッキーは単身フランスへ渡ることになり、僕ら別々の道を歩むことになります。

2010年、フランスナショナルヨーヨーコンテスト開催時にフランスへ行き、ユッキーと久しぶりの再会を果たしました。フランス語がペラペラになっていたユッキーは日本にいた時よりたくましく見えました。自宅に泊めてもらい、いろんな観光地も案内してもらいました。一緒にレイくんやアドリアン達もいて、炎天下のパリを、ヨーヨーしながら闊歩したのは良い思い出。

さて、好奇心旺盛な自由人というイメージの強かったユッキーですが、意外とメンタルは繊細で、その辺は『パリでメシを食う。』(川内有緒著/幻冬舎文庫)でも書かれていますが、高校生くらいの頃はよく2人でいろんな話をしていました。お互いの悩み相談から始まり、善と悪とか、生と死とか、そういった暗いトピックについて語り合うような少年2人でした(笑)

今、何の因果か、ユッキーは亡くなり、僕は生きています。

フランスへ旅立ったユッキーは、さらにその先の旅へと行ってしまいました。僕はリワインドを始め、一時期愛知にいましたが現在は東京へ戻ってきました。思えばこれはまだ2人とも旅の途中で、またいつか再開する日へ向けての日々をお互い別の場所で送っているだけなんじゃないか。と思うことにしているので、もはや生きているも死んでいるも関係ない。またいつか会って一緒にヨーヨーやろうじゃないか。

26歳という若さ(27歳になる学年)で亡くなってしまい、永遠のマイロックスターとなったユッキー。(27歳でアーティストや有名人が他界する「27クラブ」についてはこちら

天体観測したら星になったユッキーを見つけられるかしら?

フランスのユッキー宅にて (2010.7.2)